サントリー美術館「広重ビビット展」レセプション
母校の稲垣先生にお誘い頂き、サントリー美術館「原安三郎コレクション 広重ビビット」オープニングレセプションへ行って来ました。
戦前から財界の重鎮として活躍した原安三郎氏は浮世絵コレクターでもあり、特に旅好きだったことから、葛飾北斎や歌川広重の名所絵を多く集めました。原氏のコレクションは、揃物の多くが全揃いなのも驚きですが、本展初公開となる≪六十余州名所図会≫≪名所江戸百景≫は全て摺ったばかりの状態のような大変美しい初摺り!色が本当に鮮やかなんです!≪名所江戸百景≫の中には、キラキラ光る雲母を使用した作品もありました!!この雲母や、海面や空のじわじわっとした美しいグラデーションが生み出すぼかしの技法、目にも鮮やかな色合いは、同じ版で何度も摺られた後摺りでは見ることはできず、初摺りだからこそ見られるものです。全て状態の優れる初摺りの作品だけを集めた展覧会。名所絵の名手として絶大な人気を誇る広重の豊かで粋な名所絵をお楽しみ頂けること間違いないです。また、現存数の少ない葛飾北斎の≪千の海≫が全て揃っており、こちらも注目です!
葛飾北斎が≪冨嶽三十六景≫を発表し、歌川広重が≪東海道五拾三次≫を刊行するまでに、江戸期の文学・芸術界は〝旅″に対する興味が次第に高まってきていました。北斎と広重は名所絵(風景画)のジャンルを確立し、多くのシリーズを刊行します。
広重は、画面頂部に加えられる空の「一文字ぼかし」をはじめ、名所絵の効果を発揮した「拭きぼかし」の技法を多用しています。「拭きぼかし」の技法を使用したのは、摺師の腕に任せて版画としての面白みを存分に引き出そうとしたからではないかと考えられます。浮世絵が絵師個人で制作するものではなく、彫師や摺師の腕が加わってはじめて最大限の魅力を発揮できることを、広重は承知していたのです。また、「あてなしぼかし」という摺師に全て任せるぼかし摺りの技法も、広重は好んで使っています。これは偶然に頼る技術で、一図ごとにぼかしの模様が異なって仕上がります。その技法は、何も彫っていない平らな板に水を垂らし、更に墨や色を一滴垂らし、広げた所を摺り取るだけの、人任せ、運任せのものでした。
広重は、直接摺りの現場に立ち会い、色や摺りを指定して拘りぬいて制作しました。初摺りを見ると、後摺りの作品では全く気付かなかった広重の工夫や意図を見つけることができます。例えば、≪美濃 養老の滝≫は、後摺りの作品を見ると、ただ布を垂らしただけの平坦な滝で、広重は観察眼がなかったのかのようにと思います。しかし、初摺りを見ると、広重が木目を活かして滝の水の流れを表現しようしていた意図が感じられます。
私は現在、浮世絵の美人画を中心に研究していますが、大学院入試時には、歌川広重の名所絵を研究していました。この時に研究していた≪東海道五拾三次 日本橋 朝之景≫、こちらも素晴らしい初摺りの作品です。前期のみ展示されているので必見です!
この作品は、日本橋からの大名行列が京へ向けて出発する場面を描いたものです。日本橋を取り上げる際、通常は横向きであり、富士山や江戸城も定型として描かれますが、この作品には富士山も江戸城もなく正面向きで表されているのが斬新です。地平線近くの朝焼けに染まる茜色の空や、その上に棚引く青い雲、まだ明け切らない空を示した画面上部の藍色のぼかしなど、多彩な色の摺り重ねや組み合わせによって、早朝の風情を描き出す手腕は広重ならではのものです。しかし、これが後摺りになると、この雲がカットされ、美しい空のグラデーションもなくなります。また、この日本橋の作品には変わり図もあります。こちらの変わり図は構図ががらりと変わり、登場人物も多くなっています。
本展初公開となる≪六十余州名所図会≫は、嘉永6年(1856)7月から安政3年(1856)5月までの約4年間にわたり制作された人気のシリーズ。全国68ヵ国(五畿七道で言えば、五畿内5、東海道16、東山道8、北陸道7、山陰道8、南海道6、西海道11)の名所と江戸1点、目録1点の全70点です。
《三保の松原》
富士山と三保の松原は切っても切れない関係です。富士山を世界遺産にする際、三保の松原も含めるかどうか一悶着あったそうですが、三保の松原も含めて世界遺産になりました。観光地化して海岸が汚くなってしまったという意見もありますが、世界遺産に認定されたことを皮切りに、当時の美しい状態に戻ることを期待しています。
この広重の作品には、白い帆船が行き交う青く広大な海岸の中央、長くせり出した陸地が三保の松原です。白い砂浜と青々とした松の取り合わせの美しさから、古来より名所とされてきました。謡曲『羽衣』では、「ここから見た春景色はどれも美しく、他とは比べものにならない。」とその美しさを称えています。この作品に捉えられた富士山は、山頂のなごり雪が白抜きで表され、「板目摺り」という版木の木目を摺り出す技法により、立体感が引き出されています。
三保の松原の近くには、大型輸送船が行き来していた清水港があり、江戸と西国を結び年貢米などを送る地として栄えていました。
《江戸 浅草市》初摺、後摺
こちらの作品、浅草寺を描いた作品が2点、初摺と後摺を比較できるよう並べられていました。観音菩薩を祀る浅草寺は、江戸の庶民に大変親しまれ、新年用の品を商う12月の縁日は賑わいを見せています。
この二つ、何が違うでしょうか。全体的に引き締まって見える箇所と色が浮いてしまっている箇所が見えます。初摺の作品は、広重が摺りの現場に立会い、一点ずつ色や摺りを確認しながら仕上げただけあり、星が瞬く夜空に、画面最上部の紫と藍色の二色の雲が美しく、細部まで手の込んだ豊な表現が実現されています。
それに対して後摺は、初版と同じ版を使っていますが、様々な違いが見られます。夜空に輝く星は消え、空の色も減り、初摺りのぼかしも消え、最上部の雲は紫一色になり、平たく単調な印象になっています。版を重ねた版木が欠けたり磨り減ったりするため、後摺りでは輪郭線に荒さが目立ちます。しかし、後摺の作品が多く存在することは、この作品が人気であった証拠と言えます。
幻のシリーズ 葛飾北斎≪千絵の海 総州銚子≫
先日、八王子市夢美術館「ますむらひろしの北斎展」を観た際、この≪千絵の海 総州銚子≫ 元に制作された作品が特に印象的で、実物が観たいと思っていました。葛飾北斎による「千絵の海」は、各地の漁を主題に、変幻する水辺の景色や漁の様子を捉えた10点からなるシリーズです。千絵の海は現存作品が少なく、10点全てを所蔵しているところはほとんどありません。
こちらの作品は、鰯漁で栄えた総州銚子の海が描かれています。ベロ藍の色が美しく、荒々しい大海原の中で打ち寄せる波が岩に砕け、飛沫を残しながらひいていく様子が巧みに捉えられています。北斎はかつてこの地に滞在していたそうです。寄せる波とひく波。二つの波を一つの画面に収めた独創的な構図です。波の様子とは対照的に、画面手舞の舟の穂先には猟師が平然と網を引いています。
東京都美術館「生誕300年記念 若冲展」レセプション
太田記念美術館「歌川国貞展」
母校の先生と太田記念美術館「歌川国貞~和の暮らし、和の着こなし」へ。
現在、渋谷Bunkamuraの「国芳・国貞展~ボストン美術館所蔵」も大反響で、遂にやってきた国貞ブーム!?に嬉しく思っております。
浮世絵の状態、質・量ともにボストン美術館所蔵の方が素晴らしいと感じましたが、(こちらは退色してしまっている作品も多くありました)この展覧会に飾られていた、≪星の霜当世風俗 蚊やき≫は状態がとても良く、目を見張るばかりでした。
≪星の(や)霜当世風俗≫は、国貞の美人画を代表するシリーズの一つで、八花形の縁の古鏡風の枠内に題名が書かれています。題名は、「星の霜」と「星や霜」の二種類があり、各5図の計10図が知られています。
この≪星の霜当世風俗 蚊やき≫は、文政2年(1819)に制作されました。なぜこの年に制作されたかというと、この美人画に配された役者団扇を見ればわかります!
≪星の霜当世風俗(蚊やき)≫
この作品には、蚊帳の中に入ってしまった蚊をこよりに点けた火で焼き殺そうとする、当時の庶民の女性風俗が捉えられています。画面下部に注目すると、三代目尾上菊五郎の助六が描かれた団扇が見えます。菊五郎の助六の初演は文政2年(1819)3月中村座で上演されました。(浄瑠璃は「助六曲輪菊」すけろくくるわのももよぐさ)そのため、役者の団扇を見るとこの作品がいつ制作されたのかがわかるのです。
助六は、市川家の芸ですが、菊五郎が団十郎への挨拶なしに勝手に演じてしまったため、両者不和の原因になりました。
※美男子の三代目菊五郎は、楽屋の鏡に自分の顔を映しながら「どうして俺はこんなにいい男なんだろう」と呟いたというエピソードもあります。
役者が描かれた団扇は、一本十六文で、他の団扇絵が十二文~十四文だったそうで、他の団扇よりも若干お高めでした。
たばこと塩の博物館「根付と提げ物」レセプション
「俺たちの国芳 わたしの国貞」レセプション
2016年3月18日(金)
足立区郷土博物館・学芸員の先輩の恩師、岡部先生にご招待頂き、Bunkamuraザ・ミュージアム「俺たちの国芳、わたしの国貞」のレセプションに行って来ました。
オープニングには、音声ガイドのナレーターを務めた中村七之助さんが登場し、思わず興奮してしまいました。
幕末期に一世を風靡した国芳と国貞。浮世絵三ジャンルのトップに歌川派の絵師の名前が並んだ、評判記『江戸寿那古細撰記えどすなごさいせんき』(嘉永6年刊)には「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」と記されており、国貞と国芳の活躍を端的に伝えています。この「豊国」は初代ではなく、三代豊国を襲名した国貞のことです。
現在、歌川派といえば、国芳と広重がまず頭に浮かぶ方が多いと思いますが、当時は国貞を柱として、歌川派の絵師たちは文化文政に続く旺盛な制作活動を繰り広げたのです。国貞はこの二人の絵師よりも生涯に制作した浮世絵は3万点以上と圧倒的に多く、人気も別格でした。
歌川国貞
国貞は、10代で歌川豊国に入門し、早くからその才能を見込まれました。文化11.12年(1814.15)、29歳の時に発表した、役者大首絵の傑作≪大当狂言ノ内≫シリーズ(7枚揃)の成功を弾みとして、天保15年(1844)「豊国」を名乗りました。(国貞の前に二代目を名乗った豊重がいるため、現代では一般的に三代豊国と呼ばれます。)人気と実力を兼ねそろえた国貞は、役者絵と美人画の二大ジャンルを精力的に描き、当時随一の大御所絵師として認識されていました。
歌川国芳
国芳は、豊国に入門した後、すぐに活躍することができず、兄弟子の国直の家に寄宿しながら模索の日々を送りましたが、文政10年(1827)中国で生まれた武勇伝『水滸伝』に取材した≪通俗水滸伝豪傑百八人之一個≫が人気を博したことにより、武者絵の国芳としての地歩を確立しました。天保末以降、三枚続きの大画面を駆使したダイナミックな構図や、洋風表現を用いた奇抜な表現の浮世絵が注目を集め、天保の改革の取り締まりが緩み始める弘化4年(1847)頃から、役者を動物や器物に擬人化するユニークな表現を確立し、国芳の才能が開花しました。
七之助さんの音声ガイドを聞きながら、ボストン美術館からやってきた素晴らしい浮世絵を心行くまで堪能してきました。
この日限定で、国貞作品の撮影許可の場所があったので、ご紹介したいと思います。
歌川国貞≪本朝風景美人競≫天保初期頃
「相模江ノ島」「大和吉野」「駿河三保」「陸奥松島」
美人と日本各地の名所を小間絵に描きこんだ揃い物のうち四図。藍摺りの名所の周りには吊灯篭(針金に板ガラスや色ガラスのビーズが装飾されたもの)が華やかで目を引きました。四人の女性全て裸足で描かれていますが、「大和吉野」(中央上)黒頭巾を被った藍一色の着物の女性は寒さに震えているようにも見えます。
歌川国貞《見立邯鄲》
透けた団扇からのぞく長い洗いざらしの髪の美人。
「邯鄲」を元にした作品で、藍色の背景にはその物語の情景が描かれています。
「邯鄲」と聞くと、春信の邯鄲が頭に浮かびますが、国貞の邯鄲は女性がクローズアップで捉えられ、春信のものとはまた違った魅力があります。盧生青年の儚い夢と、小さな蝶を見つめる女性の心情が重ねられ、エモーショナルな美人絵になっています。(「邯鄲」とは、中国の戦国時代、盧生という貧しい若者が邯鄲の宿で仙人に出会い、不思議な枕を借りてひと眠りし、紆余曲折を経て立身出世をする体験をします。すると、店の主人が粟の飯が炊けたことを知らせます。盧生が体験したことは短い間の夢で、彼は出世や栄華も夢のようなものだと悟り故郷に帰っていく、という話です。)
歌川国貞
「松葉屋内 粧ひ わかな とめき」「中万字や内 八ツ橋 わかば やよひ」「扇屋内 花扇 よしの たつた」「姿海老屋内 七人 つるじ かめじ」
「弥玉内 顔町 まつの こなつ」
吉原を代表する五人の名だたる遊女を「ベロ藍」(オランダを通して輸入された化学染料の青で、ベルリン藍の略称。かつてプロシア王国の首都であったベルリンでできた染料で、プルシアンブルーのこと。)の藍色だけで表現された作品です。画面上部に遊女と禿の名前、そして夜桜が表され、禿を引き連れた遊女の道中の姿が見えます。一見、藍一色だけと思いきや、遊女と禿の口元に注目すると唇か紅色になっていました。主に藍色だけですが、衣装や簪など華やかな作品です。
歌川国貞
「江戸町壱丁目 扇谷内 花扇」「角町 大黒屋内 大淀」「角町 大黒屋内 三輪山」
こちらも吉原の名立たる遊女の花魁道中の作品です。先程の作品はベロ藍の藍が中心、画面上部には夜桜が表されていましたが、こちらはフルカラーになり、画面上部には月夜に雁の群れが飛ぶ様子が描かれています。吉原一丁目にある大見世扇屋と、吉原の見番(総合窓口)を務める角町の大黒屋庄六の遊女。「花扇」と聞くと、喜多川歌麿の四代目の花扇が浮かびますが、花扇は扇屋の別格の高級遊女でした。着物の柄もとても凝っていて、画面左の三輪山の衣装は大輪の菊、画面中央の大淀は桜と音曲を奏でる人物、そして花扇は鞠や羽子板が描き込まれていました。
歌川国貞≪全盛遊 三津の あひけん≫
「京嶋原」「江戸新吉原」「大坂新町」
江戸時代の三大都市、京・江戸・大坂それぞれの遊郭である、島原、吉原、新町の遊女が狐拳(じゃんけんの一種)をしている様子が見えます。画面上部のコマ絵には、狐、猟師、庄屋が描かれているので、「あいけん(あいこ)」となっていることがわかります。コマ絵の隣には、当時活躍した俳諧師の句が添えられていました。
京は野々口立圃、江戸は宝井其角、大阪は西山宗因
歌川国貞≪新吉原仮宅之図≫
文化13年(1816)火災で吉原が焼失し、浅草周辺の土地で営業が許された臨時の遊郭の様子が描かれています。格式高い吉原とは異なる風情が見られる仮宅。遊女たちの着物の着こなしもゆったりしています。
画面中央の女性を遠くから見たとき、菊川英山風の顔つきに見えました。
練馬区立美術館「国芳イズム」レセプション
練馬区美術館「国芳イズム―歌川国芳とその系脈」レセプション
※更新中です
太田記念美術館「勝川春章展」内覧会
太田記念美術館「勝川春章―北斎誕生の系譜」リニューアルオープン
内覧会
※更新中です
千葉市美術館「初期浮世絵展」レセプション
2016年1月9日(土)
お正月らしく、獅子舞が!!
レセプションパーティーの後、展示室へ
<近世初期風俗画>
展覧会場に入ると、まず出迎えてくれたのが、近世初期風俗画。(中世末から桃山時代を経て江戸初期にわたって生まれた新興の絵画を「近世初期風俗画」と呼びます。)浮世絵が一般の人々に普及する以前、室町時代の終わりから江戸初期にわたる準備期間が、京を中心にありました。この近世初期風俗画は、やがて誕生する江戸庶民の浮世絵の母体となったのです。
寛永期(1624-44)になると、年中行事や日常生活の様子を京の街並みや名所を屏風に描いた「洛中洛外図」の一部分を拡大してアップで詳しく見たいという欲求が高まり、屏風にあでやかな着物を着た女性が描かれ、それが小さな掛幅となりました。
「寛文美人」と呼ばれた肉筆画は、高価で一部の金持ちのためのものでした。
繊細な描線で描かれた踊り子の掛幅は、床の間に飾れば部屋がパッと明るくなったでしょう。画面上部の余白は金色に埋め尽くされ、唐輪髷に髪を結ったこの遊女が引き立って見えます。白い小花を散らし地に絞り模様などを染め分けた手の込んだ着物に、金の牡丹唐草があしらわれた帯を締め、なんとも豪華でした。
<菱川師宣>
浮世絵の創始者と位置づけられる菱川師宣は、大和絵師と自称し、版画や版本の他にも屏風や絵巻、掛幅と様々な形式で肉筆画を描きました。
師宣と言えば、まず「見返り美人」が頭に浮かびます。彼は元禄期(1688~1704)に多くの一人立ち美人を肉筆画に捉えていますが、その中に若衆の作品があることはとても珍しいです。振袖の羽織を着ていた姿を見て、最初女性なのではないかと思いましたが、実は男性なんです。エメラルドグリーンの色の着物が美しく、まだ前髪を剃らない若い男性は色子のようにも見えます。
菱川師宣『武家百人一首』
寛文12年(1672)、初めて絵師の名前が記された絵入本『武家百人一首』が世に出たのですが、その時の作品も展示されていました。絵師の名が記されたことは、浮世絵師の力が初めて認められたと言っても過言ではないでしょう。
『武家百人一首』は、100人の武家の歌人と歌、上部に注釈と歌の光景を表した絵本です。大衆の人気を得た師宣は、好色本を主に次々と絵入本を刊行しました。師宣の好色本なども展示されていました。やがて、絵本の挿絵が鑑賞用として一枚絵に独立し、浮世絵が普及します。墨一色の大量印刷のため値段が安く、誰でも買えるため、浮世絵が庶民の美術になったのです。
杉村治兵衛≪遊歩美人図≫
元禄期の着物は大模様で派手なものでした。美人の左袖には、高貴な女性を背負う男性が描かれているので『伊勢物語』の「芥川」を意匠化してることが分かります。男性が盗んだこの女性は、この後、鬼に食べられてしまうという悲しい結末が待っています。。右袖には盗まれた女性を武蔵野に探す松明を持つ武士という「武蔵野」と、いずれも『伊勢物語』の著名な場所が模様となっています。
鳥居清倍≪初代市川団十郎の竹抜き五郎≫
みみずのように描かれた線、筋肉が瓢箪のように膨らんだ脚、鳥居派のいわゆる〝瓢箪足蚯蚓描き”(当時そのような言葉で言われていたのかは疑問ですが)の筆法で表された曾我五郎。丹絵(初期浮世絵の様式の一つ。墨摺絵に朱の色として鉛に硫黄と硝石を加えて焼いた「丹」を手彩色したもの)の赤色が鮮やかで、力強さを感じました。荒事を象徴する竹抜きの趣向は、元禄10年(1697)5月中村座「兵根元曾我」で初代市川団十郎扮する曾我五郎で初演、当時人気だったそうです。
懐月堂安度≪遊女立美人図≫
宝永~正徳期(1704~16)に肉筆画を専業とする一派が登場しました。懐月堂安度とその一門です。高級な絵の具ではなく粗末な泥絵具で彩色し、工房を営んで量産しました。肉筆画はどれも高級感を感じるため、粗末な絵具を使用していると知った時は驚きました。着物を縁取る黒い太い線、大柄な模様が特徴の一人立ち美人はとてもダイナミックな印象でした。
安度は、正徳4年(1714)、江島生島事件に関与した罪で流されてしまいましたが、残された懐月堂の作品は多かったそうで、当時人気の美人だったことが偲ばれます。
<奥村政信>
版元も兼ね、浮世絵界に様々なアイディアを仕掛けた奥村政信。作画期は、元禄末から宝暦末までの約60年とずば抜けて長いです。
生涯の作品は墨摺から丹絵・紅絵・漆絵・紅摺絵へと浮世絵の発展をたどるものです。これまで墨摺りの上の塗る色は、オレンジががった「丹」が中心でしたが、赤みの強い上品な紅を使用し「紅絵」と称したのは政信でした。現在は退色している場合も多いですが、「紅」は浮世絵にはなくてはならない色となり、幕末まで江戸の人々に好まれました。
政信は、元文(1736-41)頃には「柱絵」、続いて「浮絵」(西洋の透視画法を用いて遠近感を強調し近景が浮き出して見える浮世絵。中国の蘇州版画の影響とも言われます。浮絵の創始は奥村政信で、元文4年(1739)のものが最も古い作品だそうです)を創案して人気を集めました。人気の新商品は、すぐに真似されれるので自作には「はしらゑ根元」「浮絵根元」などと記したそうです。こちらの作品にも彼のトレードマークの瓢箪印が押されています。
奥村政信≪佐野川市松≫
当時絶大な人気を誇った佐野川市松(1722~62)は、宝暦4年(1754)に女方に転向するまで若衆方として活躍し、市松模様(碁盤目状の格子の目を色違いに並べた模様)を流行させました。彼の着物の帯と背後にある暖簾に注目すると、市松を表す丸に「同」の紋が見えます。市松模様の帯は、市松が江戸に下った寛保1年(1741)「菜花曙曾我」三段目「高野心中」で小姓粂之助を演じて評判となった衣装で、市松格子とも呼ばれたそうです。丸に「同」のマーク、格子柄の模様があかれば、佐野川市松を描いた作品とわかります。
<鳥居清広>
寛保から宝暦(1741-64)までの紅摺絵全盛に活躍した絵師。
鳥居清広は生没年が不詳。石川豊信に似た紅摺絵の美人を多く描いています。
この頃から浮世絵は筆による彩色ではなく、版による彩色を行われるようになりました。「紅摺絵」は、紅色と緑を中心にした2~3色の簡単な色摺りで、寛保2年(1742)からはじまり、明和2年(1765)、錦絵が誕生すると急速に減少しました。
先ほどの紅絵は紅の色が退色していましたが、こちらの紅摺絵は紅の色がきれいに残っています。
宝暦3年(1754)11月の中村座「百萬騎兵太平記」に取材した中村助五郎の大森彦七盛長と、中村富十郎の春日野のふじを描いた役者絵。紅の赤と緑(草色)のコントラストが美しいです。
丸に「仙」の字があれば助五郎の紋、八本の矢「八本矢車はっぽんやぐるま」の紋があれば、当時、極上上吉と評された最上位の女方・中村富十郎の紋であるとwくぁかります。(評判記『役者懐相性』)
助五郎が演じる大森彦七盛長は、史実では足利尊氏に属し、建武3年(1336)湊川の戦いで楠正成を敗北させた人物です。
~この展覧会の最後は、錦絵を誕生させた鈴木春信の作品~
<鈴木春信>
明和2年(1765)、浮世絵界に革命が起きました。師宣の登場から約100年間、墨一色の墨摺から三色くらいの紅摺絵にしか技術が進化していませんでしたが、フルカラーが可能の錦絵が登場しました。当時は、西陣織の錦のように美しい江戸の絵ということで「江戸絵」「東錦絵」と呼ばれました。
江戸時代は太陰暦を用いて毎年月の大小が異なるので、新年の挨拶に、その年の大小の月を記した絵暦(大小)を作って配る習慣がありました。明和2年、教養のある俳諧趣味人のグループの間で暦のデザインの優劣を競う交換会(大小会だいしょうえ)が流行しました。リーダーは1,500石取りの大久保甚四郎忠信舒(俳名巨川)、1,000石の阿倍正寛(俳名莎鶏)、薬種商小松屋三右衛門(俳名百亀)らで、金に糸目をつけず摺の技術を開発、ついに多色摺り版画の錦絵を誕生させたのです。
鈴木春信≪坐舗八景 台子夜雨≫
同じ構図で色違いの二枚が展示されていました。どこがちがうでしょうか。
≪坐舗八景≫の8枚揃いのシリーズは春信の代表作で、この初版には「巨川」の署名、「城西山人」「巨川之印」の印章が押されています。こちらの作品も巨川が大小会で知人に配るために春信に依頼させたのでしょう。
大坂の鯛屋貞柳が『狂歌机の塵』享保20年(1735)に「瀟湘八景」を生活の場に置き換えて詠んだ歌から発想された作品で、「台子夜雨」とは、台子に置かれた茶釜の湯の音を雨音になぞらえているそうです。温かい家庭の生活風景が垣間見れます。
こちらの作品には「巨川」の文字や印も押されていません。目ざとい版元は、春信が描いた大小(絵暦)の版木を譲り受けて、依頼者の落款を削り取り、「東錦絵」と名付け商品として一般の人々に売り出しました。娘の着物や帯の色も異なり、色が退色してわかりませんでしたが、娘の簪に使われた銀や鼈甲の模様なども省略されており、高価な絵の具は用いられなくなっています。
※絵暦 太陰暦で一年は大の月30日、小の月29日で構成され、およそ3年に一度閏月があります。この組み合わせが一定ではないため、その年の大小月を表した略暦が作られ、新年の挨拶に配った、絵入りの大小暦です。
メニュー
INFORMATION
【お知らせ】
2024年11月23日(土)
14時~16時30分
「第4回畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」を開講します!
2024年10月
三井住友銀行が発行する小冊子『ことも』に取材撮影され、掲載されました!
※この小冊子はエルダープログラムに加入している方のみに配布する冊子です
SMBC『ことも』10月発行号
巻頭特集
2024年9月21日(土)
映像メディア学会で講演
「浮世絵イノベーション」
※9月28日(土)にこの講演の報告会を森下文化センターで行います
2024年5月26日(日)
京都きもの市場が主催する日本最大級の着物展示会
5/22(水)〜5/27(月)
@東京丸の内KITTE
このイベントにて
「初心者でも楽しめる浮世絵講座」 が大盛況にて開催されました✨
15時〜、16時〜の2回。
(満席クローズ)
2022年11月4日 双子を出産
【テレビ出演】
2022年9月19日(月)
フランスのテレビ局"ARTE"
歌川広重特集に出演しました!
"Invitation au Voyage"(邦題:旅への誘い)
9/19 18:10〜
放映リンクはコチラ
【浮世絵連載(全5回)が掲載中】
「畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」で取り上げた内容の一部
「浮世絵きほんのき!」(全5回の連載)が、
京都きもの市場が運営するメディアサイト「きものと」に掲載中!
https://www.kimonoichiba.com/media/column/759/
黒一色からフルカラーへ vol.2
https://www.kimonoichiba.com/media/column/795/
浮世絵はどうやって作られる?vol.3
https://www.kimonoichiba.com/media/column/826/
浮世絵の題材はこんなにも幅広い! vol.4
https://www.kimonoichiba.com/media/column/930/
美人画は当時のファッション雑誌!? vol.5(最終回)
https://www.kimonoichiba.com/media/column/1003/
◆2022年7月24日(日)
「第3回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」
14時から16時30分
6/24、7/10と大好評だったので、さらに追加で、オンラインで開催します!
2022年7月21日(木)
都内の大学で、ゲスト講師として講座とワークショップを行いました!
◆2022年7月10日(日)
「第3回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座(オンライン)」を追加で開催!
◆2022年6月26日
「第3回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」
今回も定員以上となり、大盛況で開催しました!
2022年6月20日(月)
都内の大学でゲスト講師として講演しました!
◆5月19日(木)
ロータリークラブで講演しました!
「浮世絵美人画にみる評判娘ー笠森お仙を中心にー」
◆4月30日(土)
TOKYO MXテレビ『ぐるり東京江戸散歩』「江戸時代のアイドル」に出演しました!
修士論文で取り上げた「笠森お仙」を中心に、現代のアイドルと女優さんに解説してきました♪
※6/7までTVerという配信アプリで見逃し配信しています
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
2022年夏頃
フランスのテレビ"ARTE"歌川広重特集に出演します!
"Invitation au Voyage"
(邦題:旅への誘い)
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2021年11月10日(水)
大学の授業で講師として、浮世絵についてお話しました!
「浮世絵とジャポニスム」(60分)
「第2回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」若い参加者も多く、大盛況で無事に開催いたしました!
【定員になりました】「第2回畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」
※オンライン、オンサイトはどちらも同じ内容の講座となっています
文化庁・文化財研修事業 浮世絵木版画彫摺技術者育成事業報告
竹久夢二学会 例会(於:群馬県立館林美術館/群馬県立近代美術館)
2021年3月7日(日)
インターネット番組にゲスト出演しました!
足立区北千住のインターネット番組Cwaiveにゲスト出演し、美人画研究会をはじめ、足立を描いた浮世絵やその歴史を簡単にご紹介しました♪
番組名:Coming Soon!文教国際です!
2021年3月6日(土)
日本顔学会25周年記念シンポジウム(於:資生堂)
2021年2月28日(日)
第26回美人画研究会をZOOM併用で開催しました!
2021年2月21日(月)
ラジオ番組で「美人画研究会」の活動報告をしました!
13時~かわさきFM
2021年2月22日(日)
朗読劇(美人画研究会協力)に出演しました!
『雪の女王』 雪の女王役 『12の月の物語』 ホレーナ役
2021年1月31日(日) 「第1回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」大盛況で無事に開催いたしました!
【定員になりました!】第1回 畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座を開催♪
お陰様で定員(20名)になりましたので、予定より早く募集を終了いたします
11月下旬 浮世絵コンシェルジュとして映画『宮城野』の魅力を監督と語ります!
舞台に出演しました
2020年10月9、10、11日
初めて「美人画研究会」が舞台『浅草夢やしき』の舞台協力になり、芸者・タマ子役で出演しました!
舞台稽古を重ねるごとに台詞や出番が増え、シーン⑤では、日本舞踊を舞った後「美人画研究会」の宣伝をする場面もありました
【舞台公演情報】
2020年10月
9日(金)15:00 19:00
10日(土)13:00 17:00
11日(日)11:00 15:00
チケット:5000円
会場:雷5656会館5階「ときわホール」
住所:東京都台東区浅草3-6-1
※チケットご予約※
コロナ対策徹底で、劇場での購入ができないため、
畑江まで直接ご連絡お願いいたします~♪
舞台出演がきっかけで、学生時代お世話になった、渋谷円山町芸者・鈴子姐さんに再会しました!
【中止】コロナの影響で、非常に残念ながら中止になりました
2020年10月10日(土)
中山道広重美術館2020年度連続講座にて講演「広重とジャポニスム」
2020年9月5日(土)
第24回美人画研究会を満員御礼で無事に開催いたしました!
2020年7月25日(土)
すみだ北斎美術館にて開催
映像情報メディア学会・研究イノベーション学会にて登壇!
登壇内容「浮世絵から現代の美人画へ」は無事好評におわりました
2020年2月9日 第22回美人画研究会を満員御礼で無事開催しました!
学会誌に論文が掲載されました
日本フェノロサ学会機関誌『LOTUS』第39号に
論文が掲載されました
「大正期「複製浮世絵」における高見澤遠治
―その卓越した精巧さの実見調査と、岸田劉生らに与えた影響の考察―」
竹久夢二学会で研究発表しました
2019年3月30日(土)
竹久夢二学会にて研究発表(於:拓殖大学文京キャンパス国際教育会館)
「竹久夢二の「美人画」の線 ― 現代浮世絵彫師の作品の分析から ―」